俺の手術

新しい職場は、今まで以上にハードだった。

余暇を楽しむ人々へステージを提供する「レジャー産業」。といえば、ご理解いただけるだろうか?
出勤時間は夜の8時から朝は9時までたっぷりの仕事で、若いアルバイトに紛れながら、新しい仕事になんとか食いつき、とにかく、がんばった。吹き出る汗が床に滴り落ち、あまりにもの量の多さにお客から、「兄ちゃん、酒飲みすぎちゃうか?」と言われるほどだ。

『そういえば、最近飲むようになったな・・・』とふと思う。

ある日のこと、いつもの通り仕事を終え、朝の10時過ぎに帰宅。今日は休みという気持ちの余裕からか、中華料理と、いつもより多目のビールをたらふく胃に流し込んだあげく、お昼過ぎに寝付いてしまった。
夕方近くになり、激しい胃痛から悲鳴のようなものを上げての起床になった。

以前からこういう事があったのだが、今回の痛みは普通では無く、とにかく痛みで、全身から冷や汗、タラタラ。いつもは、数時間で収まっていたのだが、今回はいつまで経っても収まらず、女房の運転で行きつけの病院へエコー検査後、「胆石症」と診断。以前からある事だけは知っていた。今回はその石が、あばれついでに厄介な事をやらかしてるらしい。胆嚢の入口を見事なまでに塞いでいるのだと。

とにかくすぐに入院、そして手術の必要があるとの事。
げぇーーー!!!「腹切るんですか?」えーーーー!!「全身麻酔?!!」で、その日の内に入院となってしまった。
                                                      

入院後、担当医から注意を受ける。
1、手術が終わるまでの間、食事は一切取れない。(点滴にて栄養補給。)
2、禁煙する。(術後、痰の量が多くなってしまい肺炎になる恐れがある為。)
3、何度も痛みを我慢していた状況だったので炎症による癒着が多い場合は大きくメスを入れての手術になる。
(癒着が無い場合は穴を4箇所開けての腹腔鏡手術になるため回復が早い。)
4、胆石のみを取るのでは無く、胆嚢全部を摘出する手術となる。(そうしないと石が再発する。)

おおむねこの4点であった、そして手術は5日後、という事を告げられる。
この時は、あまりにも酷い痛みの為か、『もう、なんでもいいから早くやってくれ!』ってなもんであった。
そう、この時までは・・・・
しかし、日に日に手術日が近づいてくると、やはりナーバスになって来るもんである。「全身麻酔」っていうのもなんだか不安であり、知らない内に手術が終了しているという利点はあるものの、命まで終了になってしまわないか?とか、とにかく頭の中はマイナス思考全開なのである。
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しかも、癒着が酷い場合は大きく腹を開く訳で、気が付いたら痛みのあまり失神するかも知れないのである。
手術までの間に看護士さんより、「手術マニュアルビデオ」を観ながら説明を受ける。そして思いもよらなかった事を告げられるのである。「えっ?うそ?!」・・・
盲腸の手術じゃないので、全く考えていなかったのだが、「陰毛」を剃らなければならないらしい。「まじぃ?」しかも、明日剃るという。『どうしよう?』という不安を胸にその日は眠りについたのであった。

「なぜ、不安であるのか?」それは、担当の看護士さんがとびきりのタイプだったからである。
こう見えても男の端くれ、想像力も人一倍多い方なので我が息子が万一「エレクト」しようものなら、その看護士さんから『何考えとんねん!この親父』なんて思われる事となり、当分立ち直れないではないか・・・

「それでは、そろそろ始めましょうか?」と看護士さんの妙に明るい笑顔。(錯覚かも。)

2人は別室へ。

ドキドキ。鼓動が高くなってくるのが、自分でも良くわかる。

そして、髭剃り用の熱いしゃぼんが患部にすりこまれようとしたその瞬間、「ツーーーン」とする柑橘系?の匂いが俺の鼻を直撃。『なんだ!この不快感丸出しの香りは?』なんて思っていたら、看護士さんが今度は剃刀を取りに離れる。そして同時に香りが遠のく。
再び、看護士さん近づく、香りも近づく、『間違いない!』俺の思いは確信に変わる。
そう、「ワキガ」だ・・・・・しかも、俺の大嫌いな目にくる系の香り。一瞬にしてその看護士さんへの思いが遠のく、息子は正直で萎えたまんまで事なきを終えた。 うれしいような悲しいような・・・・。

手術当日を迎えた。
俺はとにかく、痛みに弱い。誰が何と言おうと弱い。関西弁でいえば究極の「あかんたれ」である。
手術前に女房にお願いした事は、手術が終わったらまず、手術内容が、開腹手術か腹腔鏡手術かを教えてくれと頼んだのだ。術後の痛みがかなり違うらしいからである。

手術室に運ばれながら、俺は祈り、厄年の恐ろしさを感じたのであった。
名前と生年月日を聞かれ、答える。本人確認だ。そしていよいよまな板の上へ・・・・「大丈夫ですよ!TVドラマで見る風景と全然ちがうでしょ?」・・・それって、大丈夫な理由になるのか?と心でつっこみつつ。いつのまにか深い眠りにつく。

目覚めは、わけのわからぬ幻想から始まった。

外がやけにさわがしい。職場のアルバイト達が、「今、凄く忙しいから早く手伝ってほしい!」と言い寄る。
「わりぃ!あ、言ってなかったけ?俺今、手術中なのよ!」と一生懸命言い訳してる。「だから無理だって。」ともう一度答える。

あれ?なんか声が違う?「起きてください!」「終わりましたよ!」「大丈夫ですか?」

名前をやたら呼ばれる。

「気がつきましたか?」「気分はどうですか?」    『あれっ?ここは?』・・・・・・
「癒着してなかったから、腹腔鏡手術で済んだよ!」女房の声がする。

『え?手術、もうおわったんか?』声がでにくい。腹腔鏡手術で済んだのか?『やったぞ!痛みは軽く済みそうだ』実際なんとか耐えれそうな痛みではある。そう思ったのも束の間。痛みが段々増してくる。
『麻酔が切れてきたのかな?』おっと、その前に猛烈に尿意をもよおしてきた。「おしっこいきたい!」やっと声がでる。「尿管入ってるから、そのまましていいよ」『え?尿管?でも出ないよ・・・』そして又、意識が遠のく。

一夜明けた。
痛みは思っていたよりマシだった。しかし、この尿管だけはどうも慣れない。猛烈な「残尿感」が常にあるので看護士さんに外してほしいと頼む。あっさりとお昼には外しましょうと許可が出たまでは良かったが、外してからの放尿はまさに、地獄であった。尿管を息子に突っ込んで出来た無数の傷の上を「アンモニア」が通過するのである、想像して頂きたい。傷口に「粗塩」を直接刷り込むみたいなものだ。

数日経過。
とにかく、毎日歩く。食事も段々おいしくなって来た。おならが出れば退院らしいとの事。そして出た時は妙に感動し、内臓の働きのありがたさをつくづく実感し、無事退院を迎えたのであった。

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